現代のエンタープライズ企業において、生成AIの活用は単なる「個人の日常業務の効率化」という初期フェーズを明確に終え、事業の本質的価値を高める「コア業務の変革」へとシフトしています。とりわけ、厳格な法的規制や複雑な業界固有の専門知識を要する製造業やエンターテインメント業界においては、生成AIをいかにして自社特有の高度なナレッジと融合させ、ミスが許されない重要プロセスに組み込むかが戦略的課題となっています。

「Google Cloud Next Tokyo 26」にて遊技機メーカーの株式会社ニューギン様(以下、ニューギン)と共同で発表した、現場の高度な専門業務に溶け込む形(Gemini Enterpriseの高度実装)で新しい価値創造に挑んだ取り組みをご紹介します。

Google Cloud Next Tokyo 26に登壇する品地哲弥、桂田健次氏、松田拓也氏

左から、株式会社grasys CloudTech div. Cloud Development sec. 品地 哲弥、株式会社ニューギン AIソリューション推進室 次長 桂田 健次氏、株式会社ニューギン AIソリューション推進室 エキスパート 松田 拓也氏。Google Cloud Next Tokyo 26(開催:2026年7月)の講演にて。

AI導入の背景と全社展開のロードマップ

生成AIの導入において多くの企業が直面するのが、「全社にツールを配布したものの、一部の関心が高い社員の個人利用にとどまり、組織的な成果に結びつかない」という「初期の壁」です。ガバナンスやリスク管理の懸念、具体的な活用方法の不透明さが障害となり、ツールが形骸化してしまうケースは少なくありません。ニューギンもまた、この共通の課題からAI改革をスタートさせました。

初期の壁とビジョン策定

2024年のCopilot導入から2025年5月のビジョン策定、統括部署設立に至るAI導入の背景 ニューギンでは、2024年にCopilotを全社導入したものの、リスク管理や組織的な活用体制が未整備であったため、AIが十分に有効活用されない状態に陥っていました。この状況を打開するため、同社は2025年5月にAIに関するビジョンを策定。同時に、全社的なAI活用の旗振り役となる統括部署「AIソリューション推進室」を立ち上げました。

同社が掲げた本質的なゴールは、単なるコスト削減や時間短縮ではありません。「業務効率化やコスト削減の成果を、遊技機の魅力をさらに追求するための投資へ変え、お客様に楽しんでもらえるものづくりをする」という、ものづくりのクオリティ向上を真の目的に設定しました。

体制の現実とgrasysとの共創の必然性

しかし、推進体制の立ち上げにあたっては厳しい現実がありました。新設された「AIソリューション推進室」のメンバーは全員が他業務との「兼務」であり、社内にAIの専門人材は「ゼロ」という状態からのスタートでした。

一方で、現場が持つ暗黙知は自社でなければ言語化できないため、外部ベンダーへの完全丸投げでは行き詰まります。

自社のドメイン知識を知り尽くした「現場主導」と、最新のAI実装力を持つ「技術パートナー」が対等に組む「共創モデル」の確立こそが、成功に向けた必然の選択でした。ニューギンがgrasysをパートナーに選定したのは、単なるシステム開発受託にとどまらず、現場の試行錯誤に伴走しながら泥臭い課題を共に解決する姿勢が高く評価されたためです。

3段階の全社展開ロードマップ

開発部門での知見蓄積、他部門への展開、部門横断の変革という3段階のロードマップ 専門部署である「AIソリューション推進室」は研究開発本部に配置され、環境整備や各部署への活用提案を担当しながら、以下の3段階からなる全社展開ロードマップを策定しました。

  1. 開発部門での効果創出と知見蓄積: パチンコ開発・スロット開発・先端技術開発を擁する「開発部門」を先行適用範囲とし、コア業務での具体的な成果とノウハウを蓄積する。
  2. 他部門への展開: 開発部門で得た知見をもとに、営業や管理部門など各業務へAI活用を順次広げ、知見を横展開する。
  3. 部門横断シナジーによる全社変革: 蓄積されたデータとAIエージェントを部門横断で連携させ、会社全体の大きな業務変革を実現する。

grasysとともに明確な組織体制とロードマップを整えたニューギンが、全社変革を支える基盤プラットフォームとして採用したのが「Gemini Enterprise」でした。

Gemini Enterpriseがもたらす価値

全社規模でのスムーズな定着と、専門業務への安全な適用を両立させるためには、エンタープライズAIプラットフォームにおける「配布の容易性」「検索性」「セキュリティとリスク制御」の3要素が極めて重要となります。Gemini Enterpriseは、これらの要件を高い水準で満たしている点が評価されました。

社内展開の容易性

従来のクライアントアプリ型ツールとは異なり、Gemini Enterpriseはブラウザで動作するWebアプリケーション構造を採用しています。

  • URL共有のみで即座に配布: 専用のURLを社内に共有するだけで全社員が即座に利用を開始でき、個別のインストール作業や管理コストが一切発生しない。
  • 管理者の事前設定機能: BoxやSlackなどの外部ストレージ・コミュニケーションツールとの連携(コネクタ設定)を管理者が事前設定できるため、エンドユーザーはログインした瞬間から初期設定なしで利用可能。
  • 部門別プリセットのカスタマイズ性: 開発部門にはGitHub連携、営業部門にはSalesforce連携といったように、各部門の業務に最適化した専用のWebアプリ環境を個別に構築・提供することが可能。

検索体験の変革

社内資料の探索においても、従来の検索体験から劇的な進化をもたらします。従来は「長文ドキュメントや巨大なスプレッドシートを開き、Ctrl+Fでキーワードを検索して目的の数値を探し出す」という2ステップが必要でした。

Gemini Enterpriseでは、ユーザーが自然言語で「Q3の予算実績、最終の着地数値はいくら?」と尋ねるだけで、AIが接続されたドキュメント群を直接横断検索し、根拠ソースへのリンクとともに「答えそのもの」を1ステップで回答します。この強力な検索・情報抽出能力は、業界や部門を問わず普遍的な価値を発揮します。

チャットからエージェントへの進化

日常的なチャットで質問や情報整理を行うことに慣れたユーザーは、そのままの画面でシームレスに「コネクタ」や「アクション」を追加し、高度な業務自動化を行う「エージェント」へと移行できます。

また、外部システムへの操作やメール自動送信などのアクションを実行する際には、人間の承認を間に挟む「Human-in-the-Loop」の仕組みが組み込まれています。実行前にユーザーの明確な同意を要求することで、誤操作や不意のデータ変更といった運用リスクを確実に防ぐ安全設計が施されています。

これらの強力なプラットフォーム機能を背景に、ニューギンは「日常会話やちょっとした時短」という個人利用の域を脱し、事業の経営インパクトに直結する「コア業務のAI化」へと本格的に舵を切ることとなりました。

コア業務への挑戦

個人利用の時短から組織主導のコア業務のAI化へ移行するための考え方 生成AIの活用が「メール作成」「文章要約」「翻訳」「アイデア出し」といった一般的な個人ツールにとどまっている限り、組織全体の生産性を別次元に引き上げるような経営インパクトは生まれません。現場任せの導入では「ちょっと便利になった」という頭打ち状態に陥るため、組織主導によって業務プロセスそのものをリデザインする「コア業務のAI化」が不可欠となります。

ニューギンがターゲットとして選定したコア業務が、遊技機開発における最重要プロセスである「型式申請書」の作成・チェック業務でした。

型式申請書チェック業務における負担

型式申請書は1機種約3,000ページ、作成・チェックは年間約30,000時間に及ぶ業務負荷 型式申請書とは、新しい遊技機を市場に出すために不可欠な、国の基準への適合を証明する技術仕様書(出玉設計やプログラム等の詳細を記述した「公式な設計図 兼 説明書」)です。この業務は、極めて過酷な人的リソースとリスクを抱えていました。

  • 膨大な記述量: 1機種あたり 約3,000ページ におよぶ膨大なドキュメントを作成・検証する必要がある。
  • 人海戦術による膨大な工数: 設計値、スペック値、数式、図面間の不整合がないかを、担当者が目視で1行ずつ検証。その作成・チェック工数はグループ全体で 年間約30,000時間 に達する。
  • 申請不適合の重大なリスク: 万が一、提出した申請書にわずかでも不整合や不備があれば「再申請」となり、新機種のリリース計画が致命的に遅延する。これはメーカーにとって大きな経営リスクである。

専門用語の壁

遊技機の各部位と型式申請書に記載される専門用語の対応例 さらに、この業務の難易度を跳ね上げていたのが、業界特有の専門用語の複雑さです。型式申請書に記述されている文章は、一見すると日本語でありながら、専門知識を持たない人間にとっては直感的な解読を拒む特殊な表現で埋め尽くされています。

このような高度なドメイン知識と複雑なロジックが存在するため、誰でもチェックできる簡単な業務ではなく専門知識をもった人材によって作成されています。この3,000ページの申請書に対し、ニューギンとgrasysは革新的な技術アプローチで挑みました。

具体的な実装アプローチ

熟練者の頭の中にある暗黙知や複雑な検証手順をAI上で再現するため、両社は「Agentic AI(エージェント型AI)」の潮流を見据えた設計思想を導入しました。コンテキスト拡張とツール利用(Tool Calling)のメカニズムを駆使し、「ノウハウのスキル化」と「現場視点に立ったUI/UXの最適化」を追求しました。

Agent Skillsによる「ノウハウのスキル化」

まず、熟練担当者が行っている検証手順やチェック観点を整理し、SKILL.mdという形式で記述・カプセル化しました。 仕様書をもとに、型式申請書のどの数値とどの項目を比較し、どのように整合性をチェックすべきかという思考ロジックをSKILL.mdとして定義しました。

直感的なUI可視化

初期の実装では、Geminiからのチェック結果はデフォルトのテキスト形式で出力されていました。しかしこれでは、どこにどのような問題があるのかを現場の担当者が一目で把握しづらいという課題が生じました。

Chrome拡張機能で指摘箇所、指摘理由、修正案を表示するチェック結果画面 そこでgrasysは、Geminiに静的な「HTMLダッシュボード(HTMLコードブロック)」を出力させるカスタマイズを実施。さらに Chrome拡張機能 を開発・導入することで、出力されたHTMLを専用のUIとして画面上に綺麗にレンダリング表示させる仕組みを構築しました。

これにより、ユーザーは1画面内で以下の情報を直感的に追跡・確認できるようになりました。

  • 指摘箇所: 申請書内の該当章節
  • 指摘理由: なぜ不適合・誤記と判断されたのかの技術的根拠
  • 修正案: 申請書の誤記に対する正しい仕様値に基づいた修正テキスト

アジャイルな開発プロセス

開発プロセスにおいては、現場の「違和感」を即座に取り除くため、毎週定例で細かなすり合わせを行うアジャイルな体制を組みました。

また、現場から「別システムで図面を作成するのが地味に不便」「1画面で完結させたい」という意見が上がった際には、Gemini Enterprise上でPlantUMLを用いた「状態遷移図」の自動描画機能を補完。複雑な遊技状態の遷移をチャット画面上で即座にダイアグラム化できる環境を整え、現場に馴染む業務フローに徹底的にフィットさせました。

成果と今後の展望

高度な専門性を要するタスクをAIで再現する取り組みにより、ニューギンとgrasysの共創プロジェクトは確かな成果を生み出し、さらなる進化に向けた明確なロードマップを描いています。

ニューギンにおける成果と手応え

最大の実績は、従来は熟練者の経験に依存していた専門性の高い判断のロジック化に成功した点です。

  • 専門判断のロジック化: 業界特有の専門知識やチェック観点をAI処理プロセス(Agent Skills)として組み込む基礎を確立。
  • AIによる一次スクリーニングの実現: 3,000ページにおよぶ申請書の中から、不備や矛盾の可能性が高い箇所をAIが事前抽出・リストアップする一次スクリーニング体制が整う。これにより、人間がゼロから目視チェックする負担が劇的に軽減された。

現場普及へ向けたUI/UX最適化と日常業務への溶け込み

更なる現場への普及と定着に向け、ニューギンはUI/UXの更なる改善を進めています。

  • 脱・プロンプト手入力: スキルの呼び出しや定型プロンプトをユーザーが都度手入力する手間を排除し、ボタン操作などで直感的に実行できる仕組みを検討。
  • 日常業務への自然な溶け込み: 人間がAIの処理完了を画面の前で待つ時間をなくすため、夜間にバックグラウンドで処理を回す「夜間バッチ処理」と「共有ドライブ連携」を検討。朝出社して共有ドライブを開くだけで、すでにAIのチェック結果が届いているという、スマートな業務環境の構築を目指す。

grasysでは、AI共通基盤の導入やGemini Enterpriseを活用した業務特化型AIエージェントの開発、PoCにとどまらない本番実装のご支援を行っています。コア業務の自動化にお悩みの企業様は、ぜひお気軽にお問い合わせください。